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2012年9月15日土曜日

あと3回でりんごが終わる 


「りんご」にまつわる物語

3.11があって、私は立ち止まりました
自分が死ぬかもしれないと思ったからです
そして私は改めて自分の生きている場所を見渡しました
残念ながらそこは故郷と呼べる場所ではなくなっていました
当たり前の事ですが、人には誰にも故郷があります
私は母親から生まれてきましたが
私の母親は10年前に亡くなっています
故郷を見失った私は不安になりました
絶望と怒りを持ちました
そこからこの物語ははじまりました

この物語の主人公には、ドラマチックな事は起こりません
それは私の一生と同じようにです
主人公はエレベーターに乗っています
そして最後に、エレベーターの内側にある扉を開け
彼はそこに喜びと悲しみを見て泣き出します
なぜ、主人公は泣き出すのでしょう
この問いが、私に物語をつくらせました

この世界の中ですべての物語は人間が作り出しました
人間は猿から進化した時に、単期記憶を捨て長期記憶を選んだと言われています
美しいものや喜びは永遠にとどめてはおけない
それに抗うために必要なツールとして、物語はうまれました 

人には時間があり、止まる事は不可能です
喜びを感じた時、その時間を止めたいけれど出来ない
動かされる枠組みやしがらみが、人が生き続けるためにはどうしても必要になる
だからそこに物語を生み出す
物語は人間の欲望そのもの
人間は未来を志向するために物語というフレームを要求する

私は物語に潜り込みました
それは、私という物語を俯瞰していく感覚でもありました

そうして物語の一番外側のフレームまで辿り着いた時
私は現実社会に戻っていました
複雑化したこの社会で人間は、演劇や映画の主人公よりもっとリアルな役を演じています
そんな世界で自分たちがわざわざ物語を演じる意味があるのか悩みました
この社会の枠組みが求める物語が多すぎて、整理しきれないと思いました
でも、それでも21世紀に思想が必要ならば
一時停止するところから始めようと思いました
今の私たちでそれを覆える枠組みが演劇、
だから私たちは「りんご」を作りました
物語でなんて覆えないと諦めては何かが崩れてしまうような気がして

人間はどんなにしたって未来を志向します
未来の嬉しさを諦めて今の瞬間だけ食べて生きるのはそれは
もう人間ではない
それがいいとか悪いとかじゃなく
ただそれは人間ではないというだけ
逆に言えば人間にそれは出来ない
人間は必ず物語を必要としている
私は自分にとっての最後の終わらない物語をつくっておきたかった
つらくなったらいつでもそこに帰れるような物語を
人間というもの自体を描くような物語

この物語が私に教えた事は
希望は人間のなりたちそのものだったという事
そこにはただ明るいだけの希望じゃない
喜びも悲しみも全て含んだ
希望がありました
その古びて輝く無限のアイテムが自分の中から出て来た時
私は強くなったと思いました
故郷は自分の中にちゃんとあったんだ
と思い出しました

北川陽子

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