このブログは快快 / FAIFAIメンバーが週1ペースでお送りしてます。

2019年2月28日木曜日

日記買う/2月は嫌い/はるのうみ(りの)

りのです・タイトル通りわたしは2月が嫌いというか苦手(2月がお誕生日の方々ごめんなさい、あ、あやみちゃんだ!)ですが、今年の2月はいつもに増してです。

この2019年の2月はだいすきなおばあちゃんが亡くなることから始まって、お葬式のために1週間ほど日本に帰国していました。わたしは母方のおばあちゃんである彼女のことを、おばあちゃんと呼んだことはいちどもなく、彼女のあだ名はちばちゃんと言って(私たちが小さい頃は千葉に住んでたため)いつもおもしろ発言ばかりの、自称作家で言いたい放題で頭も良くてブログもやってたコンピューターおばあちゃんでした。今思うと彼女はわたしの生涯に何人も現れないだろうと思われるいわゆるロールモデル(お手本的な?)的存在で、彼女を見て、お金があってもおもしろくないおばあちゃんは早く死んでほしい、と思われるかもだが、お金がなくてもおもしろいおばあちゃんは長生きしてほしい(おもしろいから)と思う、のでおもしろいあばあちゃん一択だな、とひとつ長い人生に対し方向性をもらったような気がします。

いつも電話で、ちばちゃん、美大に行くんだ、とか、ちばちゃん、イタリアに行くんだ、というと、あんたはそうすると思ってたよ、となぜかいつも予想されており、あんたあのイカメン(イケメンの間違い)の彼氏はどうしたのよ?イカメンだったのに、、と20歳くらいのときの彼氏のことをずいぶん長く言われ、初めてエウジーと会ったときも目がきれいねぇ、、と目がハートになって喜んでいた、老人ホームの池の鯉がね、お腹が空きすぎて、、岩に止まってたスズメを一飲みで食べたのよ!という話や、おじいちゃんのお墓のお花に止まった蝶々がね、、目の前で一瞬にして乾いてドライ蝶々になったのよ!という話、わたしは10代のアイドルの子たちの気持ちがわかるわ~わたしも老人ホームのアイドルだからさぁ、大変なのよあの子達もわたしも~という発言や、とにかくおもしろかった、快快の裸族のビデオをyoutubeでみた時もわたしのことを、あの子もこういう変なことさえしなければ普通のかわいい子なのにねぇ、、と普通のことを言ってたあたりも笑った、

ちばちゃんと話すとき、久々に会う親戚に対してあるようなどこまで見せていいのか、、?みたいな感覚は全然なく、今思うと、彼女とわたしとの時間は小さい頃からとぎれることなくずっと続いていたというか、彼女の中にもちゃんといつもわたしがいるような感覚があったんだと思います。簡単に言うと、彼女がいなくなってとてもとてもさみしい。89歳だったので、亡くなるのは自然なことですが、亡くなり方が不慮の事故のような感じだったのでなおさらさみしいです。

5歳のときにわたしが入院したとき(脱腸で)入院に付き添ってくれたのは彼女で、わたしのベッドの横にもう少し低い簡易ベッドを置いて寝ていたちばちゃんは、朝起きたら目の前にあんたのあんよがぶらぶらしててびっくりしたわよ!と言ってました、(たぶんわたしの寝相が悪かった?)10歳くらいの時、小学校のクラブ活動の音楽劇の公演に来てくれた後、手紙を送ってくれて、そこには小さなたしか動物のシールが入っていて、「もうりのちゃんはそんなに小さくないから、シールでは遊ばないかもしれないけど、劇をみていたらこれを送りたくなったんだよ」と書いてありました。

ちばちゃんは俳句をたくさん詠んでおり、知らなかったけどいわゆる作家ネームもあり、お葬式では彼女の句集を配りました、その句集のタイトルにした句が

日記買ふ まだ来年も 生きるから

というもので、彼女のちゃっかり感がよく出ていてだいすきな句ですが、亡くなったいま詠むと、なんだか頭がぽーっとしてしまいます。

そもそもわたしの娘の朝に、朝っていう名前をつけたのはわたしが朝か夜という字を使いたかったというのもあるけど、もともとわたしのお母さんがわたしに朝子と名付けたかったのだが、おそらくちばちゃんの判断で地味すぎる、ということで却下になった、というところからもらったというのもあり、朝、という名前を初めて聞いた時のちばちゃんの感想は、「そんな女中みたいな名前でいいのかね、、?」というものでした、女中て笑、


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ところで今日天才ささきあやみとチャットしてたら、おにぎりセラピーをしてオリエンタルの濫用をするのはどうか?というアイデアと、アイデンティティーなんてものは実は、ない・という耳寄り情報をもらいました。アイデンティティーとはいつまでもはっきりとよくわかっていない概念ですがおそらく自分が?どこに?所属するのか?いったいなにものなのか?をはっきりくっきりさせるってことだと思うのですが(違ったらごめんなさい)そんなものは実はないのに、ある、ってことにして違いをはっきり、くっきりさせようとすればするほどいろいろ問題出てくる、とゆーような(わたしの解釈では)情報でした。それをきいてなるほどわたしは、この小さなイタリアの街に来てからは自分が日本人で日本語で日本食で日本の音楽、本、なんやかんや、にすごくこだわっているように感じて、でもむしろ日本にいたときはそういったものが格別好きだったわけでもなくむしろ逃げたがっていたような気さえするのに、つまりありもしないアイデンティティーをむりやり探り出し抱えていたいかのような気持ち・です。だけどその抱えていたいアイデンティティーなんて実はないんだよ~~んということになったらどんなにいいだろうか・アイデンティティーなんかまじでいらない、あしたから日本に関するいろんな気持ち、恋しささえも全部ないってことで、無視して生きていこうか、と思いましたが、それは、、できるだろうか、、、夫エウジーに、りのはここにきてから抱えてる問題はずっと同じ、nostalgiaだ、と言われましたが、いや、故郷があるかぎり、故郷を思う気持ち(つまりnostalgia)は消えないのでは、、?つまりその気持ちが解決されることは、、痴呆になる、、しかない、、、?のでは?とか思いました。(痴呆になったって、ほんとうに忘れているのか?はわからないとも思う)

2月のなかなか春にならない寒さと、だいすきなちばちゃんがいなくなってしまったことはわたしの中のnostalgiaを強く強くしてしまって、地球の裏側でこんな気持ちになっているわたしはとても宇宙にはいけないな・と何度か思ったことがあるけど、また思いました。




2019年の2月最後の日!
りのでした!