みなさんこーじ×文美のインスタラジオ『ポテトタイム』は聴いていますか?
私は聴いています。
次回が楽しみですね。
FAIFAIのinstagramから聴けるのでお聴きの逃しないように◎
次のFAIFAIの活動は7/22です。
お越しをお待ちしています。
おととい(7/6)は打合せがはやめにおわったので、
あきらめていた、TJ(多田淳之介さんのこと 初めてTJのフルネーム活字でかいたきがします、いい名前ですね)演出の韓国のアーティストたちとの作品『カルメギ』@KAATを観ました。
観劇中なみだがでましたが、なぜかという理由はぼやっとしているので、
それがはっきりしてくるように、消えないように意識をもっていなくては。
というきもちにもなりました。
客席にいる個人の集合体が観ているのは、時勢(時制)とともにある個人とその集合体でした。
ステージ側から客席をみてもそうだったかもしれないです。
出演者の中には3年前くらいに一緒にクリエーションをしたイ・ユンジェ(きれいな響きですね)さんがいたのですが、
私は全く気がつかず、
カーテンコールではめの前にいたのに気がつかず(この俳優さんは役のときとずいぶん印象違うんだなとは思いましたが)、
見終わった後、ロビーで出演してるときかされても信じられず(確かにユンジェさんくらいすごい上手だった)、
面会して初めて、あ、このやさしい笑顔はまじでユンジェさんだ(やだかっこいいナイスガイおかわりなく素敵ですね)、となってから、心の底から俳優とは、と愕然としました。
さいきんは神里雄大(これもいい名前ですね)さんの、随筆のようなものをたのしく読んでいます。
記録とそれにまつわる思考が身体に寄り添っているかんじがあっておもしろいです。
心の状態とそうなったであろう理由が、身体的状態も連動して活字におこされているようなきがする。
私がご本人と面識があって、活字から想像しやすい立場にあるということも、活字に肉体をもたせている理由のひとつなのでしょうけど。
わたしのしごとの場合、その人の所作や状態(居方、立ち方、ふるまい、たたずまい、心的状況やその人が持つ性質が物理的肉体にあらわれていること)は着せる服を決める時の重要な判断材料ですが、通常生活においては服がたたずまいや所作を決めることがよくあります。
神里さんの文章の中に
重要なのは、呼ばれ方が違えば、自分の感覚が変わるということだ。ぼくの場合、「雄大」と呼ばれると、自分のことを日本人だと感じるし、いまや「Julio」と呼ばれるとペルー人であると思うことがある。相手や環境によって、自分は変わる。
{『ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ』 02ペルー(2)ペルーに生まれて }より
というのがあって、ほんとそうですよねとおもいました。
誰にでもあてはまる一文だとおもうし、こうやって意識することで物理的な肉体も変わる気がします。
着せる服で肉体や心的状況を強制したいとは今のところ考えませんが(結果なってることもあるかもしれないけど)
着る人と服との共存をより意識的に図れれば、 ということを考えました。
今日(7/8)は岡田利規さんがドイツのカンパニーとつくった作品とcontact gonzoのクロージングパフォーマンスを観ます。
皆さん夏バテきをつけて。
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