みなさんこんにちは。
絹代です。
新学期になって、娘は小学3年生、
息子は近所の保育園に入園しました。
「1999」に出演していたJKたちももういわき総合高校を卒業し、
半分は東京、半分は地元に就職したり他県に進学したりしました。
卒業おめでとう。
さて、最近私は何をしているかといえば、
息子の入園準備でバタバタだったのと
今年度も多摩美術大学の非常勤講師(PBLという授業を担当しています)。
それから第9回せんがわ劇場演劇コンクールの専門審査員を担当させて頂くことになりました。
しかし、最近思うのは
先生の立場にたとうとも
審査員の立場にたとうとも
やりたいことはだいたい
「つきぬけたバカ」
ですね。
年をとるほどに社会的意義を求められるし
成果を見込めることをしがち
大義ありげに見せがち
に流されてしまいそうですけどね。
いつだって私個人はそれらから自由でいたいし
生きてる喜び感じたい。
だって助成金の為に作ってるわけじゃないんだから。
本来は私の表現のために作ってるわけだから。
って電気グルーヴの画像見ながら肝に銘じてます。
いろいろ通じるところある |
ママになってもおばあちゃんになっても
いつか私が死んでしまっても
「あいつら(FAIFAI)は本物のバカだな」
と言われたい。
こないだこーじが出演した
悪魔のしるし「百人斬り」@豊田市美術館。
亡きキグチさんの遺作で、1周忌記念での開催に
家族で旅行がてら観に行ってきました!
出演者は斬る人1名(こーじ)と斬られる人が100名以上、
内容はバンド演奏をバックに斬って斬られて、
最終的に死体が舞台を埋めるというただそれだけなんですけど
最初にふんどしにデスメイクのこーじが舞台上に現れて、
バンド 演奏がジャーン!って始まった瞬間、
息子が大きな音に驚いてギャン泣きしたんですね。
演奏+ふんどしのこーじ+斬られてく人々+泣く赤子
その光景が圧倒的に
無意味で
みんな全力で
ただただ美しくて
涙が止まらなかった!!!
息子はすぐに泣き止んでその後は興味深そうに舞台上を眺めてましたけど
途中でこーじのふんどしが取れて落ちそうになるのをお尻のあたりで抑えながらもう片方の手で必「死」に斬ってる姿とか、
舞台監督のさめちゃんが自分が着ていた黒いジャンパーをこーじに巻きに突入する決「死」の姿とか、
もはやデスメイクで黒い前掛けしてる人になって斬ってるのとか全然意味わかんなくて、
自分が斬られて「死」ぬ様を心から楽しもうとしている人々、
そして、この演目を遺して「死」んでしまったキグチさんとか、
すべての「死」が愛おしくて涙があふれた。
きっといろんな解釈や意味をここにつけることは出来るんだけど
なんかそういったものこそ無駄な感じがして、
ただただ現象の強さを味わいつくした贅沢な時間でした。
そしてその日の夜は飛行機で帰ろうとしていたんだけど
見事に空港間違えて(名古屋に2つ空港があることを知らずにチケット取ったバカなあたし)、
最終便を逃し
新幹線で帰りました。
2万の無駄な出費にまた泣いた。
夫が「この旅で一番面白い出来事だったなー」といって笑いながらビールをおごってくれ、
「笑ってるのはおめーだけだー!!」といってそれをがぶ飲みしました。
今となってはいい思い出☆
さて先日は我が家で快快会議があったんですが、
春の幼虫さながら、
モゾモゾ土の中で
我々も新作に向けてうごめいています。
なかなか腰の重い私たちなのですが、
そして驚くことにみんな歳をとってきている(!)のですが、
新作はいつだって生まれたての赤ちゃん。
快快には赤ちゃんという意味もあるらしい。
そんなかんじで、突き抜けたピュ アな表現を今後もやっていきますよ。
今年度も宜しくお願いします。
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