2015年は過ぎて、2016の春がすぐそこです。
1月は
FAIFAIの新作会議をしたり
FAIFAIと友達と餅つきをしながら、記者会見をみたり「ムーかるた」をしたり
鬼ナイスガイたまちゃん
衛生を意識してマスク着用
社員旅行と称して、水戸芸を経由して、きぐちさんといわき総合高校の生徒達がつくった作品を観に行ったり
山崎
2月の参加作品の準備をしていました。
その間、
木ノ下歌舞伎「黒塚」チームはフランスツアーに旅立ち岡田利規「God Bless Baseball」チームはアメリカツアーに旅立ち
岡崎藝術座「イスラ!イスラ!イスラ!」東京/横浜公演でした。
2月は
ひさつねあゆみちゃんのバンドの衣裳を担当したり
わかりづらいですが、ひさつねさんの後ろ姿。
かっこいい美術はささきあやみの作品です。
TPAMで山本卓×北尾亘「となり街の知らない踊り子」の衣裳を担当したり
ささきから桜の枝の差し入れ。お洒落ですね。
3月の参加作品や、それ以降の参加作品の準備をしています。
3月は
チェルフィッチュ「部屋に流れる時間の旅」
に参加します。
リハーサルに参加した日は、時間と空間に自分が存在している、あおやぎさんがせりふを言っているときに今窓の外の鳥が飛んだ、自分はいきている、と感じて、胸がいっぱいだ、苦しい、春が近いからかもしれない、と思いました。
うまれた季節だからなのか、いきものだからなのか、春が近づくと/来ると、喜びで胸がいっぱいになってああ苦しい、ああ嬉しい、と感じます。心配になりそうですが毎年のことなので通常運転です。
さて、
私は時々、雑誌やサイトを拝見します。ファッション雑誌や生活雑誌や建築雑誌など、そういえば大相撲ジャーナルは写真がすごくきれいです。
服のためじゃない写真に写っている服は、なにかの説明、を構築する1つの要素としての服なので、とても参考になります。
都築響一さんの「着倒れ方丈記」は服でなく人、この世にいる様々な人たち図鑑の様で、刊行された時には驚きと感動がありました。
これも図鑑だな!と思って手に取りました。
山下陽光さんのブログに背中をおされ、購入。
2015年の夏に刊行された「ファッションは更新できるのか?」会議に参加してから、これまでも感じでいた、コスチュームをつくることとファッションという現場で服をつくることの違いてなんなわけ、実際違うのだけど、根源的な違いてなんなわけ、という思いがムキムキ成長を遂げていたのですが
FAIFAI美術部として佐々木×藤谷×山崎で参加しました。
やっと読み始めた坂口恭平さんの著書「ズームイン、服!」の超冒頭にあっさり書いてありました。
個人が身につけている服は、どんな経緯であれその人に選ばれていて、生活背景をせおったその人の、むきだしのナウな文化の小宇宙であると。(わたし解釈)
コスチュームとして服をつくる/選択することは小宇宙を形成してみためで説明をすることで、ファッションの現場で服をつくることは、小宇宙形成の選択肢をつくることかー、すごくシンプルだね、と納得したわけです。
コスチュームに関してはずっと感じてきたことではありますが、ファッションに関しては間口の広さに憧れている部分もあり関係付けて考えることをしなかったので、引き続き考察しようと思います。
5月くらいになったら解釈拡張して、そんな小さいこと考えるのはやめたとかいいたいものです。
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