このブログは快快 / FAIFAIメンバーが週1ペースでお送りしてます。

2018年5月24日木曜日

おはよう、いってきます、ただいま、おやすみ


こーじです。

今回は、僕の飼っているインコについてなので知らない人はすみません。

今日、大学生の頃から15年連れ添ったコザクラインコのきいちが他界しました。老衰だと思います。
きいち

僕の青年期を共に過ごした相棒とまでは言えないかもだけどそんな感じのインコです(昔シアタートラムにも一緒に立ちました)。

バイトの休憩で20時頃、携帯をチェックして彼女からのLINEで知りました。
新しく働き出したバイト先で、「天気悪いしやることも特にないから20時で上がっていいよ」とシェフに言われたもののお客さんが結構入ってきたので、「やっぱり休憩もらってラストまでいますね」と言ったものの、「長年一緒だったインコが死んでしまったので帰ります」と言って帰らせてもらいました。思い起こせばオカメインコのかんちゃんが死んでしまった時(この時は一緒に寝てしまって、朝起きたら布団の中で死んでしまっていた、たぶん窒息死か圧死)も、「今朝インコが死んでしまったのでやっぱり帰らせてください」と言って出勤したもののすぐ帰りました。

かんちゃん

今回も残ろうか迷ったけど帰りました。きっと日本社会的には、というか男たるもの「長年一緒だったインコが死んでしまったので帰ります」なんて言い出さずに黙ってラストまで働くんだろうけど、帰りました。きっと自分は結婚してないし、子供もいないし、金銭的に守るべきものがないから、こんなことできるんでしょう。彼女はいつも割り勘にしてくれますし、ほんと甲斐性ない男です。「お先に失礼します」と行った時のシェフの目が心なしか冷たかった気もしましたが、思い返すとシェフは今日野良猫(と言っても毎日お店の裏にきてニャーニャーおねだりしているんですが)が来た時「おー、どこ行ってたんだよー」と言ってキッチンから出て行っていたので(普段はそっけないタイプ)、きっとインコを亡くした僕の気持ちも察してくれたと思います。そもそもお客さんとして来ていた時にこのシェフと働きたいなと思ってこのバイト先に来たこともあるので、きっとわかってくれたと思います。今日の借りは明日働いて返します。
と、結局、きいちの話ではなく自分の話を長々してしまう自分がいます。

帰ってきて、テッシュの布団に寝ているきいちの目は落ち窪んでいました。彼女が紙を折って箱にしてテッシュを敷いて上からも掛けて、ちゃぶ台の上にきいちの居場所を作ってくれていました。きいちの顔を見て時間が立ってしまっていることを感じ、最後に一緒にいてあげられなかったことを申し訳なく思いました。一緒にいた梅ちゃんはどうだったんだろう。きいちの異変に築いて側にいたんだろうか。きいちは一人、なんだこれ?なんだこれ?って不安に思いながら他界したのか。
きいちの亡骸が部屋にある中、電気をつけていいのか、どんな風にいていいのか、よくわからずとりあえず赤ワインのボトルを買ってきてカベルネ・ソーヴィニヨンってぶどうの品種のことだったんだなんてウィキッたりしてます。うまい。

思い起こせば、今朝は寝坊してしまい、きいちにおはようも行ってきますも言っていませんでした。しっかり自分は朝ご飯を食べたのに、きいちには小松菜あげなかった自分に嫌気がさします。帰ってきて、昨日の夜にきいちとうめちゃん(相方のコザクラインコメス)用に1枚残して置いたのに今朝あげ忘れて萎れた小松菜をゴミ箱に捨てながら後悔しました。

後悔というかこんな自分に嫌気がさしました。あと2年くらい生きると思っていたので油断してました。油断ってなんだよ。朝、小屋から出して触れ合うことは日課にしていたのに今日に限って寝坊してしまった。朝、行ってきますと言う時に、「もしかしたらこれが最後になるかも」なんてよく思っていたのに、大して忙しくもない日々に追われて、ないがしろにしてしまっていた。
思えば昨日の夜はおやすみも言っていませんでした。昨日の朝に触れ合ったのが最後で、昨日の夕方に小屋の網越しに会って、ピーピー鳴いて出たそうに止まり木の上を右往左往していたのに出してあげずに出掛けました。悔やみます。後悔先に立たずとは言うけれど、本当にそうで、だからこそ後悔しないように今を大事にしないと。(なんて言って自分が所属したい芸能事務所を真剣に探さない僕はこのままではきっと後悔すると思うのに、ここまでやらないってことは何かあると思います。)

きいちの最後の写真を探して携帯の写真と動画をチェックしたら、写真は一ヶ月前のもので、動画は二ヶ月前のものでした。
1ヶ月前の写真、パンくずを食べるきいち(奥)と梅ちゃん

2ヶ月前の飾り羽に必死な梅ちゃんと、パン屑を探すきいち

おとといまで2泊3日で八丈島に旅行に行っていました。良い時間を過ごせたし行ってよかった。けど、、この旅行に行く朝も、もしかしたらこれが最後の「行ってきます」になるかもなんて思いながら出発したけど、「ただいま」と言えました。なんて情緒ある風だけど、実際はただ放っておいたんです(餌や水は用意して行ったけど)。きいちの写真や動画を探してみて1ヶ月前のきいちの写真にたどりつくまでに自分が遊んでいた写真がいっぱい出てきて、もう少し一緒の時間を大切にしていたらなあと後悔しました。

いちご狩りしたり

なめこ狩りしたり


足柄フラワーパークの藤見たり
山崎公園で
タナゴ釣ったり
実家に帰って人参の間引きして、

それを父に初物としてお供えしたり

こっちの家でメロンや、

シソや、

ミニトマトとバジル植えたり

ゴーヤの緑のカーテン作りに奮闘したり

千葉でビワ狩りしたり
メダカの種類の多さに驚いたり
南房総で釣りしたり
陶芸家瀬川辰馬さんの窯の火入れを手伝いに行ったつもりが、畑仕事やり出したり(耕さず草を生やして共育ちっていう自然菜園の本を借りてきたり)

宮古島でキョンに夢中になったり


ハイビスカスに浮かれたり
UFOみたいな雲に興奮したり
ふれあい牧場の触れ合えない牛にがっかりしたり
光るきのこ見たり
裏見の滝に行って苔むしたテーブルに座ったり
犬と猫に同時にさわれて喜んだり

釣りしたり

ウミガメに会えて喜んだり
海から石一つを運ぶ代わりにおにぎり一つをもらう流人の重労働に思いを馳せたり

八丈富士に登ってスリルより恐怖を感じ、自分の老いを感じたり

多摩川に植えたバジルの種が芽を出しているのを発見して心踊らせたり

メダカの卵を採取したり(見えないけど生まれててきいちの生まれ変わりなんて思ったり)
つっても結構触れ合っていたし、一般的なカゴの中のインコよりはきっと幸せだったと思う。これは僕が僕を守るための考えでしかないですね。
よく「幸せになるためには人と比べないこと」って言うけど、インコは他のインコがどんな暮らしをしているか、一般的にどうか、なんて知るよしもないから、比べようもないからきいちが幸せと感じていたかどうかが全て。まあ、とは言ってもある程度は幸せだったと思います。きいちたちの幸せを考えたらもっとできることなんていくらでもありました、本当に。朝5分早く起きて、放鳥の時間を延ばしてあげることもできたし、めんどくさがらず、週に2、3回の小屋の掃除をもっと増やすこともできたし。こんなことはわかっていたけどやりませんでしたし、できていたこと、やっていたことが全てで、僕が決めた僕ときいちたちのライフハッピーバランスです。ペットの幸せは飼い主にかかっているから(おこがましいかもしれないけど)、自分の生活とペットの幸せの折り合いのつけかたなんだけど、僕はムツゴロウさんの様に、ばさっといける強い考えを持っていません。しっかりした考え、スタンスを持っていないと、ペットを飼うのは大変だよな。僕レベルだとインコで何とか、もし猿飼ったら自分のライフと動物のハッピーのバランスが取れなくなって病むと思います。

ってなんて言ったらいいものか、きいちへのごめんの気持ちが解消出来ないでいたら彼女が帰宅して、そしたら今まで出てこなかった涙が溢れ出して、ほんとなんなんだよ、今泣くってほんと自分なんなんだよって感じになりました。自責の念かよ、慰めて欲しいのかよ。小学生の時、人に指摘されて泣き出しちゃうみたいな、ちょっと違うか。

僕が、ペットが死んだ時に必ずやっていることは、ペットの代わりに「南無阿弥陀仏」と言うことです。小学生の頃に家の本棚にあって読んだ地獄の本に、「南無阿弥陀仏」と言えば阿弥陀仏様のいる天国よりもさらに良くて死ぬこともなく一生いられる極楽に行けると書いてあったからです。それ以来、僕の考えでは、「動物は何も悪いことはしていないから、死ぬときはちょっと苦しかったかもしれないけど、今はもう気持ちのいいところに行ってるから大丈夫」というものです。それでも念のため、だめ押し的に、代わりに「南無阿弥陀仏」と言っている感じです。僕はもう会えないしさみしいけど、きいちはもう最高に気持ちいいところにいるからオッケー。って言う自責の念からの解放。結局、葬式とか色々は残されたものの気持ちを解消するためのものなんで、実際は「きいち、今、無」とも思っていますし、「最高に気持ちいいところに行って、かんちゃんと再会」とも思ってもいるし、ちょっと科学的に「俺の知覚できない次の次元へ」とも思っています。

迷うのは、土葬か、火葬か、水葬か。
今までのインコは土葬だけど、お墓を作ると、自分もそこに縛られる感じがあるので嫌だなあ、というか、まだ永住の地を決めていないので、お墓だけ決まるのは嫌なんです。遠くなったらいけないし、っていうか近くても今行ってないし、という後ろめたさ感じたくない、気持ちさえあればいいじゃん、自分の庭とかあればそこに埋めるんだけど。
火葬は、最近のノリで多摩川で焚き火して燃やすかとも思ったのですが、きっと灰までいけず焼き鳥って感じになってしまうし、多摩川に水葬かな、ナマズとかが食べて自然に帰ると思う。気持ち的に流せなかったら、大雨が降ったら流されてどこかわからなくなるところに土葬します。

最後にきいちが何を思っていたのか、最後まで食欲旺盛だったから「ひまわりの種も食べたかった」なのか。最後におやつをあげた時、1番の好物の麻の実はたっぷりあげたけど、ひまわりの種はちょうど切れていて(押し入れに次のひまわりは買ってあったのに、「次のときね」と、めんどくさがって)あげなかった。もしかしたら「朝、こーじの食べこぼしのパンくずが食べたかった、、」かもしれない。

あとは残された梅ちゃんとどう暮らしていくかです。梅ちゃんは、カンちゃんが他界して、きいちが一人ではかわいそうだと思ってすぐペットショップに行き買ってきました。そして2週間くらいスポイトで餌をあげて、
早くスポイト離れするように厳しめに育ててるところ

なんとか自分でご飯が食べられるようになったくらいの時に、僕が演劇で海外ツアーに1ヶ月以上行って、その間は実家の僕の部屋にきいちと梅ちゃんの2匹だけを放し飼い状態にして餌の補充だけ母親にお願いしておいたら、僕が帰国した頃には、すっかり鳥社会で育った、鳥になっていました。
帰国したら鳥になっていた梅ちゃん(右)、まだ色が淡い
これまでの幼少期から青年期を人と共に育ったインコとは違い、野性味溢れるというか、ちょっとコミュニケーションが取りづらいというか、鳥。それでも何年か過ごすうちに、噛み癖はだいぶなくなったし、だんだん一緒にいられるようにはなったんですが、やはり人間の僕よりは、インコのきいちとのつながりが強かったので、明日からの生活が心配です。
きっときいちの方が早く死ぬから、その後残された梅ちゃんとどうしようって考えてはいたものの、思っていたより早くこの日が来た。次のインコを飼ったら、一生インコ生活だから梅ちゃんには悪いけど次は飼わないと決めていた。そこでぼんやり俺が考えていたプラン。

1、地元、掛川にある鳥のテーマパーク「花鳥園」にこっそり連れて行き、放す。
2、ネットでコザクラインコを良い環境で飼っている人を探し、一緒に飼ってもらう。
3、梅ちゃんと俺が良い関係を築き、添い遂げる。

こうやって、きいちが他界してみて冷静に考えれば、3だと思うし、99%そうします。
ただこれは自分の保身のためなんじゃないかとも思います。ペットを飼ったら最後まで責任を持つ、持てないのなら飼わない。よく聞きます。だから3、周りの目を気にして、みたいなのもあって、本当に梅ちゃんの今後の幸せを考えれば2なのかもしれない。でも俺が思っているより梅ちゃんは俺に情があるかもしれないし(1の可能性がないのは、花鳥園はほんと飼われている鳥の世界ではベストパラダイスだと思うけどコザクラインコはいないので)
ともかく、明日以降、きいちがいなくなったことを梅ちゃんが受け止めて、どう言う風になるかわからないですが、3の方向でやっていきます。
もしかしたら、次に梅ちゃんが生む卵はきいちの子供かもしれないと思うとどうしたものか、、今、巣にこもりがちだけど最近はあまり卵を産まないから、産まないかもしれないし。

これまでは、夜、暗幕を掛けた鳥小屋から「ピピ、」と聞こえたらきいちと梅ちゃんどっちかなって思っていたのが、今聞こえる声は梅ちゃんなんだ、と思うときいちの不在を強く感じて、妙な感じです。

吐き出してだいぶ気が晴れてきました。ともかくここまで読んでくださってありがとうございます。いつもブログを書くことで二ヶ月分くらいの溜まったモヤモヤを解消しているんですが、今日はここ6時間くらいのモヤモヤだけです。
自分は色々考えすぎてめんどうな人間になったものだなあ、とつくづく思います。



八丈島を旅行している時に、町の標語があいさつ押しだなあなんて思っていたけれど、挨拶って大事。

やっぱりプリミティブなところに近い環境だと大事なことが自然と大事だと思えるんだなあって今思います。

きいちにおはようもいってきますも言わないまま、別れがきてしまったことを悔いています。
今後は、おはよう、いってきます、ただいま、おやすみを大事にしていきます。みんなも大事な人がいたら、言えるときに行っておいたほうがいいと思います。


ちょっときいちの亡骸がまだ隣にいるのに切り替え早いですが、きいちのことを知っていて、想ってくれる人に向けて、自分にも向けて。




追伸
朝、起きて梅ちゃんを外に出したら、やっぱり異変を感じていて、きいちを側においたら、すごい勢いで毛づくろいをして、きいちの目をほじくり返しちゃうんじゃないかと恐くなったけど、反応しないことがわかったら、僕の肩に飛んできて、「なんかおかしいんですけど」って言ってる感じでした。そしてきいちが入っている箱の紙をちぎって飾り羽をして小屋の巣に帰っていきました。

今から、多摩川行って、きいちとさよならしてきます。
ついでにコリアンダーとゴーヤの種も撒いてきます。

きいちと梅ちゃん

追記
結局、多摩川に紙の船で流して、いいお別れができました。




0 件のコメント:

コメントを投稿