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2014年7月19日土曜日

ワーグナーの電球とNINTENDOがコケた話

はろー。せばです。

今年4月から大学院に入って博士論文をこれから書いていく予定です。テーマは「フィクション」。なかなか広いテーマだから、範囲をどう絞っていくかも考えなきゃいけない時期で、全体像がまだ漠然としている中、とりあえず「部品」から組み合わせながら考えていくことにしようと思って、書いています。この投稿は(他に話すことあんまないから?)現在執筆中の「部品」の紹介です。ヴァーチャル・リアリティ、略して「VR」、についてです。

僕らの知っている「マトリックス」、つまり「TRON」、つまり「ニューロマンサー」的に別世界に入る(と思わせる)VRシステムは20世紀後半に開発された。中でも、60年代後半に出てきた頭部装着ディスプレイ(HMD)という、両眼の前に画面を装置したヘルメット・デバイスは画期的な発明だった。90年代になると、VRシステムに必要なコンピューティング・パワーもそこそこ進化し、三次元空間をわりかしそこにいるかみたいに再現すること、そして、データグローブやデータスーツという(当時にしては)かなり未来っぽい機材で、VR世界の中を移動したり、「もの」を触ったりすることさえ、まあ、今日から見てはしょぼいグラフィックスだけど、可能になった。

そこで面白いのはまず、VRシステムの開発者、VRシステムを使ったアーティストたちが基本的にスピってたということ。僕らの日常的な労働環境=パーソナル・コンピュータやインターネットの発展に貢献した人たちもそうだけど、けっこう60年代アメリカのカウンターカルチャーの思想から影響されていて、死すべき生とともに、マスメディア社会の疎外感を超克する「何か」を発見したように思ったやつ、または技術への憧れから、サイバースペースというものに宗教的な意味、ニーチェに言わせれば「背後世界」を信じたやつも登場した。

で飛躍ですがもういっこ面白い話。VRがひとまずのブームを迎えたこの90年代に、NINTENDO(漢字で「任天堂」って書くことを僕が日本に来なきゃ知らなかった企業)もそのブームに乗っかるべく、いろんなオモチャを市場に投げ出したことをご存知ですか。その時期までに開発されてきた高機能(アンド高額)のインタフェースをいわば大衆娯楽のために安くつくり直したやつで、例えばファミコンを操作できる「power glove」っていうコントローラーや、これやったら目が悪くなるぞと親から言われそうな立体映像ディスプレイ付の「virtual boy」が発売された。今の人には基本的に知られてないことから、途方もなくコケたということをなんとなく推論できる。


☆96年に発売停止☆

こんなデジタル映像を使ったシステムが出てくるまえにも、強烈な生々しさを備えたイメージの中へ消えていくような夢をみる人がいた。最近読んでる学者のオリバー・グラウなんかは、ヴァーチャル・アートというか、映像の中へ「没入」するような芸術をルネサンス期の遠近法、そしてローマ帝国時代の壁画まで辿っていく(とんでもない)本を書いた。そしてここまで書いたらあまり驚くことないかもしれないが、舞台芸術の歴史にも、「アナログ」な手法によって観客を舞台上の世界にどっぷりさせるやつがいた。特にワーグナーのバイロイト祝祭劇場で使われた舞台装置はすごかった。あそこが世界史初、上演時に消灯した舞台だってことは周知の通りですが、ドイツ神話の世界をヴィヴィッドかつ超リアルに再現するためには、(当時にしては)最先端の技術も使われたことはそんなに広く知られていない。「消灯」はこの技術的基盤(いろんなカラクリ、操作する身体と演奏する身体も含め)をうまいこと、客席から見えなくするコツでもあった。だって、龍と闘う英雄が守った聖杯に、ケーブルが付いてて、SIEMENS社の電球が光ってることがバレたら格好わるいというか、あんまロマンチックじゃないじゃん。

そんなこんなで、「ロマンスとテクノロジーの結婚」というモチーフがいま念頭にある。

つまらない話ですみませんでした。

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