このブログは快快 / FAIFAIメンバーが週1ペースでお送りしてます。

2018年11月16日金曜日

続いていく世界に対する自分不在へのリハーサル・とわ???(りの)

今日もイタリアからこんにちは~りのです!

寒くなってきたからポンズが家でだらだらしたがりますわたしの髪はまだピンクです

前回書いた時(たぶん9月?)に
うちの朝が保育園に行き始めますどうしようだいじょぶかな、、
と不安をつづった?と思うのですが、
それに反しうちの朝氏は
ほかのちびちゃんたちと一緒に遊んだりご飯食べたりお昼寝したりするのがそうとう楽しいらしく
毎日今日どこ行くの~?ときくと
Bimbiiiiiii!!!!!!!!!
(イタリア語で子供達の意味、1歳半だがもうイタ語の複数形が使えている、、)

行ってきま〜すの時

と叫んで土曜日でさえ保育園に行きたがります・
楽しいよね、みんなで遊んだりご飯食べたりお昼寝したりするの、わかるよ!ていうかもうその楽しさわかったんだね!これからもっとたのしかったりこころくるしくなったりするやばいこといっぱいあるよ、
でもできるだけ絶望とかからは君を守りたいものだ・
とか思ったりしています。(←親)

O/Y/A(親)になってみてからこの奇妙な感情と付き合ってる私ですが
例えば夜、朝氏を寝かしつける時にふわふわのあったかいベッドの中で
小さな柔らかいおててをニギニギしつつほかほかの1歳児を抱きしめて
クンクンしながら目を閉じるともちろんわたしも寝落ちてしまうわけなんですが、
あー寝るな、、、となりつついつもこの瞬間に
「悪魔に魂を売る」
って言葉が浮かびます、
この彼女とのあたたかい気持ちよすぎる時間のためなら
歯みがきもスキンケア(もう30代後半だから大事)も
家事も(全てエウジー(夫)に任せる)世界中でおきているいろんなことも
全部くっそくらえだわ
となってしまう・

ところでイタリアでよく日本語のFワードをきかれますが
正直イタ語ほどあきらかにひどいFワード(ケツの穴入ってろとか)は日本語にはないなぁと思う、
でもクソがよとかくっそくらえ(はあまり実際言うことはすくないけど)
はいい感じのFワードだなと思う・特にクソがよがわたしは好き。

クソなことがあった時ちゃんとクソがよ、ていうの大事だなぁ~って思うと
やっぱFワードも必要だからこの世にあるんだなと思う・
どうでもいいことつらつら書きましたが、
どうしてちびちゃんとの気持ちいい時間に「悪魔に魂を売る」て感じるんだろ?ってことと、
ちょっと前に快快の新作の企画書的なものかいてるときぱっと浮かんだ
「続いていく世界に対する自分不在へのリハーサル」
とはなんじゃ?ってことと、
こないだの快快会議でこーじが言ってた
「100年後のことを考えるのは自分本位じゃないからえらいよね」
(正確ではないがこんな感じだった)
とゆーこととかについて今回は考えたいと思った・
(こないだの会議でもいっこ気になった発言は
「生きてるだけでいいっていわれた~い」
だった)

→→→

こーじは「100年後のことを考えるのは自分本位じゃないからえらいよね」と言ったけれど、ちびちゃんが現れてからなんかわたし、100年後自分はいないけどぎり彼女はいるかもで、そうなると100年後も彼女が楽しくくらせる世界であってほしい、って思ってしまって、なんてゆーか逆にエゴが延長された感じがある・このエゴが伸びた感覚が「悪魔に魂を売ったな自分」と感じる要因であると思う(これについては後で*注釈)。自分自身についてわがままであるだけでなく、自分の子供に関するわがまままで増えてしまった、もしも孫などもあらわれたら、さらに200年後くらいまでみんなに幸せでいてほしい・というエゴが、、、なんとなく500年後くらいまでは自分のエゴ範囲内な気がして、まったく自分本位じゃない未来って1000年後くらいかもしれないと思った。というわけで1000年くらい前の11世紀について軽くwikiってみたら、いろんな情報があったけど(オックスフォード大学創立とか)どうやら「源氏物語」が紫式部によって執筆されたのがこの頃らしいとわかっておお!1000年前の恋愛もの!このあいだのポテトタイム(みんな、きいてるぅ?)でこーじとあやちゃんが「恋愛ものはやりません!うちらがやらなくてもみんな恋愛するだろ!」とキッパリしてましたが、わたし的には快快の恋愛ものもたまにはいいよなぁとも思う(メンバー間で意見まとまってないw)から「こーじ物語」よくね?!と思った、けどこーじは光源氏みたいな闇のあるタイプじゃないしクソ恋愛体質でもないからなぁ、、となりやっぱ違うか~とも、でもとりあえず源氏物語は読んでみようと思って与謝野晶子訳の原始物語をkindleにおとした(海外在住なので基本読みたい本や漫画はkindle)ちゃんと全部よめるかあやしいけど1000年前の恋愛小説(しかもけっこうエグい)を100年くらい前に活躍した熱い女性(晶子の短歌大好き、100年前は同い年くらいだし)の訳で読めるとかいい・とかおもってたらもう2018年が愛おしくなってきた(1000年後からの目線で)

*注釈:自分が生きてるあいだは幸せで平和な世界で暮らしたいと思うものだが、子供ができるとその感覚が子供が生きてるうちは、孫が生きてるうちは、とどんどん延長されてしまう、そのエゴの延長が今まで人類を助けてきたかもだが逆に世界を(地球を?)めちゃくちゃにしてきんじゃないか、とも思える。しかも子供のため、という気持ちには自分のためより他者のためだから肯定される感じがあるぶん厄介なのでは、、という気もする・なんとゆーか戦争を始めたい人に、じゃあ自分が戦場にいけと言われてもまぁ行くかもだが自分の子供を行かせないだろう、というような感覚。でも世界の中では、そういうことも起きてるんだろうと思う。自分一人でも上手く対峙できないことばかりなのに小さなちびちゃんまでもがここに現れてわたしはどうしたらいいのか混乱しているし、この混乱はきっとずっと続くのだろう*

というわけでいつも混乱したまま来年の9月に発表するまで快快が新作をつくります・
あ、タイトルにも書いた
「続いていく世界に対する自分不在へのリハーサル」
に関してはちょっとまだ考えないとわかんなかった、新作に向けて考えます。
考えることはいつも楽しく
最後に残されたわたしたちの自由なのか?!
と思う

みんなまだ先だけど来年みに来てね・快快の2010年代最後の作品になるね・

りのでした~

0 件のコメント:

コメントを投稿